中島のケニアインタビュー!第一回!

こんにちは!ケニアの未来インターンの中島です!!
前回予告した通り、今回、青年海外協力隊として、ケニアのチルドレンズ・リマンドホーム(児童拘置所)にて2018年から2年間活動された黒田篤槻さんにお話を聞きました!!
黒田さんの「JICA海外協力隊時代の活動内容」から、黒田さんがケニアで食べたものの中で一番おいしかったものまで、いっぱいお話しいただきました!

中島:今日はよろしくお願いします。

黒田さん:お願いします。

中島:まずは、黒田さんは、JICA海外協力隊時代はどのようなことをされていたのですか?

黒田さん:私は「青少年活動」隊員として派遣されていたのですが、ケニアのチルドレンズ・リマンドホーム(児童拘置所)で非行少年や触法少年(殺人などの重い法に触れた子たち)、ストリートチルドレンに対して、教育活動をしていました。具体的には、最初の一年間は英語や裁縫を教えたり、年上の子たちに年下の子で、先生と生徒の関係を作ったりするような活動をしていました。ですが、配属先には先生役が自分しかいなかったので、そういった活動を長く続けていくには限界があると感じ、誰が先生になっても続けることができるような仕組みを作ることにしました。教科書、ノートを配属先の予算で買ってもらい、時間割を作り、子どもたちが一日に2時間程度勉強できる時間を作りました。読書するための本はちょうどJICA事務所が移転のタイミングだったので、JICA事務所から英語の本を段ボール2箱分もらってきました。
他にも、配属先の外で、児童保護施設と協力してストリートでチルドレンの保護活動や啓発活動も行っていました。

中島:なるほど、施設の中だけでなく、外にも出て活動していたんですね。活動をされていた地域はどのようなところだったのですか?

黒田さん:僕が活動してたのはナイロビから7時間くらいかかる、エルドレットという街で、ケニアで4番目くらいに大きい都市でした。除虫菊やメイズ(ケニアの主要穀物)の生産が多かったと思います。マーケットが複数あって、いろんなところから人やモノが集まるところでした。基本的にはすごくにぎやかな街で首都にあるような大きいスーパーもあって、生活用品はなんでも手に入りました。標高が2100メートルと高い場所だったので、長距離ランナーの聖地としても有名で、日本人のマラソン選手も来ていました。アフリカと聞くと暑いイメージがあるかもしれませんが、標高のおかげで一年中涼しかったです。

中島:特産品もあり、大きなスーパーもあるなんて、大きくて賑やかそうですね!それでは次に、ケニアの子どもたちの生活について聞いていきたいと思います!まず、そんな街で暮らす、ストリートでの子どもたちの暮らしってどんな感じだったんですか?

黒田さん:ストリートの子たちはその名の通り、路上に住んでいます。具体的には、町のはずれにゴミが集まっている場所があって、そこでみんなでたむろしてシンナーを吸いながらしゃべったりとか、ギャンブルしたりとか、大麻を吸ったりとかいう生活をしています。そう聞くとすごく汚くて危ないように聞こえるんですけど、実は衛生面には気を使ってたりして、近くの川で週に何回か水浴びをしている様子もよく見ました。ご飯は物乞いで得たお金で買ったり、優しい大人に恵んでもらったご飯とかを食べています。あとは自分で、ちょっとした仕事をしたりして得たお金で買っています。

中島:ちょっとした仕事っていうのは、具体的にはどんな仕事をやっているんですか?

黒田さん:パーキングボーイって言って、駐車場で車を誘導したり、買い物に行っている間に車を見守ってるから、それでお金くれっていうみたいなものとか……。それから、マーケットの荷物運んだり、カフェの床とかトイレ掃除したり、ペットボトル集めて売ったりとか。中には自分でアクセサリー作って売ったりとかしている子もいたかな。女の子は売春をしている子もいるようでした。あとは、薬を売る子もいました。シンナーみたいなもの、グルーって言うんですけど。それををペットボトルに入れて売る子もいる。

中島:なるほど。

黒田さん:やっぱり、一人で生きていくのは大変なので、みんなで身を寄せ合いながら生きていってる子が多いと思います。物乞いをするときも何人かで集まってやったりとか。そういうところに一緒に座らせてもらって、お菓子を食べながら話を聞かせてもらったりしていました。

中島:路上に暮らす「子どもたち」の生活は、日本に住んでいたら想像もつかない、とても厳しいものなんですね。

中島:では、黒田さんの活動されていた児童拘置所では子どもたちはどんな生活をしていたんですか?

黒田さん:うちではね、朝6時半に起きて施設の掃除をして、8時くらいにウジっていう朝ご飯をたべて…

中島:ウジって何ですか?

黒田さん:メイズ(とうもろこし)とキャッサバの粉でつくる、ケニアのおかゆみたいなものです。

中島:おかゆが朝ご飯なんですね。

黒田さん:はい。それを食べて、そのあと、僕と一緒にみんなで勉強をして、お昼ご飯を12時過ぎくらいに食べる。お昼ご飯はギゼリっていう、トウモロコシと豆を混ぜたものです。そのあと、14時くらいからまた勉強時間ですね。日中は大体そんな感じで時々スタッフさんのお手伝いしたり、収穫を手伝ったりとか、そんな生活です。16時過ぎくらいに夕飯ですね。

中島:夕飯はどんなメニューなんですか?

黒田さん:だいたいウガリ(ケニアの主食)とキャベツかな。以前はウガリと豆だけだったんだけど、子どもたちがこれじゃ生きていけないって怒って、キャベツとウガリになりました。あと、週に1回くらいお肉が出ます。ご飯を食べたら18時くらいに寮に戻ります。でも、女の子は食器洗ったり、ダイニングの掃除してから帰るかな。そのあとは施錠されて寮で過ごすんですが、ちょっとやんちゃな子は寮の中で隠れて大麻吸ったりとか、隠し持った携帯で友達と電話したりとか、寮の天井を破って脱走を試みる子もいました。脱走した子も大勢います。一応夜間は守衛さんがつくんだけど、その守衛の目をかいくぐっていろいろしてたみたい。

中島:施設の中にいる子どもたちでも大麻を吸ったりしていたんですね。でも、今回のお話でケニアの一番つらいところにいる子どもたちの生活が何となくわかったような気がします。

中島:それでは、次は、黒田さんがケニアで感じた「一番うれしかったこと」「一番つらかったこと」「一番驚いたこと」など、いろいろ質問していきます!ではまずは、黒田さんが「ケニアで一番うれしかったこと」は何ですか?

黒田さん:そうだなあ、町で施設にいた子どもたちが「あつきー!」っていって手を振ってくれたりとか、友達の子に「あつきは僕の先生なんだよ」って紹介してくれたときとかはうれしかったですね。

中島:それはうれしいですね!じゃあ次に、「ケニアで一番楽しかったこと」は?

黒田さん:子どもたちと施設内でふざけあってるのが一番楽しかったですね。授業してるときは先生にならないといけないけど、そういうのをしてないときにしゃべりながら普通に男の子同士みたいな話をしていました。

中島:普通の男の子同士の会話ですか?どんな感じなんですか?

黒田さん:「彼女いるの?」とか「日本のこと聞かせてよ」とか(笑)やっぱり記憶に残ってるのは子どもたちと遊んでた時。あとは、ちっちゃい子たちと寝転んで一緒に歌うたってるのを動画にとったりとか。人としゃべるのはずっと楽しかったな。あ、でも、マーケットを探検するのも楽しかったな。掘り出し物が結構あって、休日はそういうのを探しに出かけましたね。

中島:日常の中に嬉しかったことや楽しかったことがあって、とっても素敵ですね!では次に「ケニアで一番驚いたこと」は何ですか?

黒田さん:驚いたこと?

中島:カルチャーショックとかですね。

黒田さん:うーん、実はあんまりなかったんですよね。学生時代、NGOの活動でインドにいっていたので、違う文化のところに飛び込むのは結構慣れていました。あ、でも、一つだけ驚いたのはね、あくびをしたら「おなかすいたの?」って聞かれるんですよね。

中島:あくびですか?

黒田さん:うん、調べてみたら、空腹もあくびの原因になるんだって。だから、気になって子どもたちに調査してみたんです。そしたら「自分があくびするときはどんな時?」って質問には「眠い時」って答えが多かったのに、「相手があくびするときはどんな時?」って質問には「おなかすいたとき」って答えが多かった。だから、みんな眠い時っていうよりはおなかすいたときにあくびをするっていう認識が強いんだって。

中島:え?すごい面白いですね。自分であくびするときは眠い時なのに、ほかの人があくびしてたらおなかすいてるって思うんですもんね。不思議~。

黒田さん:そうそう、こういう意外なところにあるちょっとした違いには驚きを感じたかな。生活の中でご飯が違うのなんて当たり前だし、スプーン使わずに食べるのなんてことも当たり前だし…。あ、でもシロアリ食べるの聞いたときは結構驚いたかも。

中島:シロアリですか!?

黒田さん:そう、桶の中にぶわーって入って売ってるの見たときは結構衝撃だったな(笑)素揚げにされててちょっと塩味なの。足とか口に残るけど、まずくはなかったよ。

中島:シロアリ、結構びっくりしたけどちょっと挑戦してみたいです…!じゃあ、「ケニアで一番困ったこと」は何ですか?

黒田さん:一番困ったことは…、シンプルに水が出ないことだね(笑)

中島:水は困りますね~。

黒田さん:そう。水道がキッチンとシャワーのふたつあったんだけど、水源が別々で、キッチンは水道からで、シャワーのほうはアパートの上のタンクからの水だった。どっちかはでるけど、どっちかはでないみたいに何とかマネジメントができてたんだけど、まれにどっちも止まっちゃうときがあって。そういう時は本当に困る。

中島:うわ~完全に水の供給なしですもんね。

黒田さん:お風呂入れないし、食器も洗えないし、だからそういうときのために水ためたりはしてたね。電気が止まるのは何とかなるんだよ、別に暗いだけだから。3日続くとちょっと困るけど…。あ、でも、シャワーは電気で沸かすんですよ、あれが使えないのはちょっと困るけど、でも、ガスは使えたからガスでお湯沸かしてお風呂入ってた。だからまあ、電気はなくてもいいけど、水がないのは困った。

中島:電気で沸かすシャワーの仕組みってどうなっているんですか?

黒田さん:ケニアのシャワーはですね、だいたい、シャワー室の外側にスイッチがあって、そこで電気をオンにしてシャワーヘッドの電源を入れて、シャワーヘッドで水をあっためます。注意しないといけなかったのは、水を出しながらシャワーヘッドのスイッチをオン/オフしないとショートしちゃうので、気を使ってました。

中島:黒田さんのいた地域は特に標高が高いので暖かいシャワーは絶対必要ですよね!!

中島:それでは、「ケニアで一番きれいだったもの」は何ですか?

黒田さん:ケニア山と海ですね。ケニア山は本当にきれいなところでした。

中島:登ったんですか?

黒田さん:登りましたよ!てっぺんまで。いくつか山頂があって、一番高いところはロッククライミングをしないと登れないので、ケニア山の歩いて登れる山頂までいって、朝日を見ました。めちゃくちゃきれいでしたね。完全にケニアで一番高いところだから、自分の影が一番高い峰に移るんだよ。しかも、ちょうど満月の日で、朝日と満月が同時に見えました。また、遮るものが何もないのでキリマンジャロ山の頂上も見えて、すごくきれいでした。

黒田さん:そうだ、あともう一つ、私の任地の近くにイテンっていう場所があって、そこからアフリカ大地溝帯を見渡すことができました。大地溝帯っていうのは、ケニアの真ん中を通ってるアフリカ大陸の割れ目のことです。本当に大きな、谷というかくぼみのようなところでしたね。活動中は、そこにたまに行ってリラックスしていましたね。

中島:近くにきれいなところがあるといいですね!いつか行ってみたいです…!

中島:それでは最後に、「ケニアで一番おいしかったもの」はなんですか?

黒田さん:一番おいしかったものは、地元にあった豚肉料理屋さんの焼肉ですね。もちろんケニアの主食、ウガリと食べるんですが、豚肉のニャマチョマ(焼肉)が一番おいしくて地元の常連になってましたね。

中島:では反対に、ちょっと苦手だったものはなんですか?

黒田さん:苦手だったものは、マサイ人が多いナロックという町で食べた、スープですね。ヤギの頭を煮込んで、そこに薬草をいっぱい入れて作ったスープだったのですが、それだけはケニアで唯一完食できなかったなあ。なんか脂がぎっとりして、すごいえぐみの強い味がして、あれだけは苦手でしたね…。

中島:うわー!頭ってそのまま頭なんですか?脳みそとか全部?

黒田さん:うん、たぶん全部入ってます。

中島:どんな味に近いですか?

黒田さん:いや、あれは例えられないですね…。

中島:じゃあ、苦いとか辛いとかの中だったらどれが一番強かったですか?

黒田さん:こってりと苦いかなあ。めっちゃ濃いとんこつラーメンを食べたらめっちゃ苦かったみたいな。でも、苦かったわけでもないかなあ。なんかね、不思議な味がしましたね。

中島:詳しく聞いても想像できない味ですが、人生で一度はトライしてみたいかもです…!今回はお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

このインタビューで私のケニア理解度も高まったと思います!これからも、ケニアの魅力をどんどん聞いていきたいです!!

ちなみにこのインタビューはFacebookでも投稿していたので、よかったらそちらも覗いてみてください!Facebookでは写真もいっぱい投稿しているのでもっともっとケニアの理解度が高まるかもしれません!

次回は橋場さんに「コロナ禍のケニア」「ケニアの未来設立の経緯」などを聞いていきたいと思います!!