中島のケニアインタビュー!!第二回!

こんにちは!ケニアの未来インターンの中島です!
前回予告したとおり、今回はケニアの未来の設立者・事業総括の橋場さんにインタビューをしました!
「最近のケニアの動向」から、橋場さんがケニアの未来を立ち上げた経緯、これからのケニアの未来について語っていただきました!

中島:今回はよろしくお願いいたします。

橋場さん:はい、よろしくお願いします。

中島:ではさっそく、橋場さんは2か月半、一時帰国していらっしゃいましたが、2020年12月にまたケニアに戻りましたよね?そこで2か月半前と変わったことなどはありましたか?

橋場さん:ありました。感染者数は増えていたけれど、経済は戻ってきているように感じました。4月~7月の都市封鎖があった時はケニア全体がシーンとして、人々が家に閉じこもっていたのですが、それからは徐々に戻ってきていて、経済活動も今まで通りになってきていました。さらに、お店やバーなどもあいていて、制限はあるけどみんな遊びにいったり、外食していました。

中島:なるほど、感染者数は増えたけど人々の生活は少しづつ普通に戻ってきていたんですね。一番大変だった4月~7月ごろはどんな感じだったんですか?

橋場さん:ナイロビ(首都)とモンバサ(沿岸部にある第二の都市)で感染者数がすごく増えていました。なので、まずナイロビの都市封鎖が行われました。それが、ナイロビだけではなくて、ナイロビとナイロビの周辺地域をナイロビ首都圏として、そこから外には出られないし入ってこれないようにしていました。なので、個人営業の商売が落ち込んでた感じでしたね。

中島:あまり想像がつかないんですが、封鎖されたっていうのは例えば町と町をまたぐような場所に警察がいて検問をしているみたいなイメージでしょうか?

橋場さん:そんな感じです。本当にどうしても行き来しなければならない人達以外は通してもらえない状況でした。例えば、病院関係の人や物流を担っている人だけ通過できるライセンスをもっていて、国境のような感じで、ボーダーができていました。

中島:かなり厳しく感じますね。夜も外出禁止だったんでしょうか?

橋場さん:そうですね。それは今でもやっています。夜の外出禁止令は時間帯が変わるんですよ。今(2020年12月)は夜の10:00から朝の4:00までは出てはいけないときまっています。でも、例外もあって、例えば私がケニアに戻ってきた便は深夜につく便だったのですが、朝4:00まで空港で待ってなきゃいけないのかなと思っていたのですが、空港から出るタクシーのドライバーはライセンスを持っていたので、深夜の1時くらいに家に帰ることができました。なので、そういう特殊な仕事の人は動けるのですが、基本的には決められた時間以外は出てはいけないことになっています。夜間外出禁止令というのは、3月に感染者が初めて見つかってすぐごろからずっと施行されていて、時々時間帯が変わっています。

中島:それでは次は、子どもたちの話を聞いていきます。ケニアでは2020年3月から学校をすべて閉校したという話を聞いたのですが、一方で10月から再開していたという話も聞きました。どのような状況だったのでしょうか?

橋場さん:10月からは、小学校(プライマリースクール)の4年生と8年生と中学校(セカンダリースクール)の4年生という全国統一試験がある3学年だけに限って学校に通っていました。でも、ほかの学年の子はずっと家にいて、通学はしていませんでした。(ケニアの小学校は8年制、中学校は4年制です)

中島:全国統一試験とは何でしょうか?

橋場さん:全国統一試験はかなり重要な試験で、センター試験のようなものです。ケニア人が最も重要視していることの一つで、小学校の場合は500点満点で点数によって行ける中学校が変わります。また、中学校の場合は、ABCDEで成績を決められて、Eは落第で、Dだと大学には行けません。Cからはマイナス、フラット、プラスがあって、Aは本当になかなかとれません。ケニアって昔に比べて大学もすごく多くなっていて、だけどやはりCぐらいをとっていないとあまりよくないといわれる大学にすら行くことはできないですね。また、就職の面接の時も、ケニア人は履歴書だけじゃなくて、全国統一試験の成績証明書を持ってくるんですけど、小学校の方も持ってきます。その成績の証明書によってこの人は学力があるかないかで判断するので、とっても大事なものです。そのために、全国統一試験を受ける子たちだけは特別に再開している状況です。ケニアは近年学校の長期休暇がすごく長くて、11月と12月は2ヶ月間休みなのですが、2020年は小学4年生と小学8年生と中学4年生の子たちはクリスマスぎりぎりまで勉強していました。

中島:なるほど、ケニア人にとっては全国統一試験はそれほど重要なものなんですね。今は学校での子どもたちの話でしたが、学校以外でコロナウイルスによって青年や少年たちくらいの年齢の子たちに影響を与えたことはどういうのがありますか。

橋場さん:やはり、一番に影響を受けたのは環境がいい所に住んでいない子どもたちだと思います。例えば、ドラックが蔓延していたり、性的な虐待や犯罪が多い環境にいて、学校でしか勉強することができなかった子たちにとっては勉強する唯一の場所を奪われたことになります。また、特に全寮制の学校に通っていて、そういう環境から離れて勉強に専念することができていた子どもたちにとっても、そういう環境に戻って、いつ学校が開くか分からない中、外に出ずに閉じこもっていなければいけなかったので、影響を受けた子どもたちはすごく多かったと思います。

中島:先ほどからよくお話に出てきますが、全寮制の学校に行っている子たちってケニアでは多いんですか。

橋場さん:多いです。全寮制のほうがもともと多くて、昔は中学校に行ける子は限られていたので、みんな全寮制のところに行っていました。でも、最近はどの子でも行けるような通学制の学校が中学校もどんどん増えてきています。お金が無くても、家から通って学費もランチ代くらいのところが結構できてきています。

中島:なるほど。昔は全寮制のほうが多かったけど、お金がない子たちでも行けるように通学制の学校も増えてきているんですね。今、お話の中で家の環境があまり良くない子たちも、全寮制のところに通っている子がいるとおっしゃっていましたが、私のイメージでは全寮制に通う子はお金がある子とか、親が教育にお金を出せるような人っていうイメージがあるんですが、そういう子じゃなくても全寮制の学校に通えるんですか?

橋場さん:そういうこともありますね。たしかに寮費がかかるので普通の通学制よりは高いです。ただ、特別お金持ちの家の子ではない子たちも行っていますし、教育にお金をかけて、いい環境で勉強させたいというふうに考える親はケニアでは多いです。お金が無くても親がなんとかするか、親戚一同でお金を出し合うという例もあります。あとはやっぱり、ケニア人同士で、勉強のできる子をサポートしている例は多いですね。例えば、貧しくて学校に行けず勉強できない環境にいるけれど、すごく頭のいい子がいたとしたら、近所の人達でも学費をサポートします。なので、割と教育に関するお金の問題はそんなに大きなものではなかったりしますね。もちろん、ものすごい学費が高いとこもあるので、そういうのはほんとにお金持ちが行くんですが、そうじゃない全寮制もたくさんあると思います。

中島:日本みたいな奨学金制度ではなく、家で親戚から集めたり、近所からお金を頂いたりというほうが多いんですか?

橋場さん:奨学金制度とかもありますが、みんなが応募するので倍率が高くなり、難しいですね。なので、色んな人が個人でもサポートしています。ケニアの未来もサポートしてます。

中島:では、次は前回の内容にうつります。前回はケニアの未来をつくった経緯をお話されていたので、もう一度そのお話について詳しく聞いていきたいと思います。まず、アフリカに関わることになったきっかけはなんですか?

橋場さん:私は最初にケニアに来たのが2000年です。もともと大学で開発経済学を学んでいて、開発途上国には関心がありました。でも、あのころは、経済の指標だけで見ると、どちらかというとアジアは発展しつつあって、アフリカは取り残されていた状況でした。同時に90年代だったので、ルワンダの大虐殺やアフリカの国々で民族対立とか、紛争とか結構あったころでした。なので、そういう1番大変なところがどういうところなのかなっていう関心を学生の頃から持っていて、そこで、アフリカ地域開発市民の会(CanDo)というNPO法人でインターンをすることになりました。なので、初めてケニアに来た時から開発プロジェクトに関わっていました。旅行とかでケニアに来て文化に魅了されたとかそういう入り方ではなかったですね。

中島:今、CanDoっていう団体さんのお話がでたんですが、そこではどのようなことをされていたんですか。

橋場さん:そこでは、ケニアの中でもすごく貧しい場所で事業をしていました。ケニアには、砂漠のような乾燥・半乾燥地帯という地域があって、乾燥地帯は人が住めないようなところとか、遊牧で住んでいるようなところなんですが、そこに近い半乾燥地帯の、キトゥイのムインギ県という地域で活動していました。事業は、住民参加で学校を建てたり、人々の暮らしや今後の将来にとって大事な教育、保健の分野を住民参加で改善していました。例えば、小学校の教室の建設とか、補修、リノベーションですね。それを、日本の団体が資材を出して、全部作ってあげるのではなくて、住民が現地調達できるものを集めて作っていました。とはいえ、貧しい農村ですので、保護者にはお金はなかったので、お金がかかる建設資材は日本の団体であるCan Doが援助するという形をとっていました。でも、プロジェクトをやるうえでの決定事項は全部現地住民との話し合いで彼らが決定をしていました。保健についても、徐々にHIV感染者が増えてきていたので、HIV感染予防や基礎保健や母子保健についての研修をお母さん達に行っていました。とにかく、現地に住む住民が参加するということを大事にする事業をしていました。

中島:そこで学んだこととか現在にいかされていることはありますか?

橋場さん:地域社会の開発プロジェクト運営や考え方ですね。彼らが主体でやることが一番大切だということを学びました。それから、プロジェクトを行う時のケニア政府への手続きやビザ、銀行などのお金周りのような総務についても学びました。

中島:それを辞められて、今のケニアの未来をたちあげたということですか。

橋場さん:そうですね。最初の渡航後に留学して、JICA青年海外協力隊に行って、またちょっと別のNGOで活動して、もう1回現場でちゃんとやりたいと考えて、CanDoでケニアに戻りました。その時、CanDoで大きな事業に関わって、3年くらいケニアに駐在して一通り経験しました。その後、同じく国際協力関係の仕事を探した時に、たまたま同じケニアで少年司法関連の事業をJICAがやっていたのでそのプロジェクトに参加しました。そのプロジェクトは4年間で少年司法関連の行政機関のケニア人たちに対しての研修プログラムをつくる事業でした。CanDoの時は一般的な学校への支援だったので、特殊な子どもたちの問題をそこで初めて知りました。そのプロジェクトの時、私はケニアの児童局という、非行少年や虐待されている子、捨てられた子、孤児たちのことを広く管轄している部署の本部にいました。そこでは、ケニア人のオフィサーたちに囲まれての仕事でした。でも、子どもたちは家庭の中で虐待を受けてたり、家庭で育児放棄にあってたりして、フラフラしているうちに非行に走ってしまう子が多く、やっぱりもう1回現場に戻って、現場で子どもたちの支援をしたいと思ったので、ケニアの未来を設立しました。

中島:それでは、今は経緯のお話だったのですが、現在はケニアの未来として、どういう活動をされているんですか。

橋場さん:今この時点(2020年12月)では、JICAの保護司の事業が終わって、今はコロナウイルスの状況にもよりますが、来年(2021年)の4月以降に女児の早期妊娠予防のための事業を始める予定です。それも保護司事業を行ったところと同じ、ケニアのマチャコスの中にあるムワラという地域で、ボランティアの人達に対して、性犯罪や子どもの発達、早期妊娠の課題について包括的に学ぶ研修をして、その人たちがコミュニティでの早期妊娠の問題を予防していくことを目的に人材育成をするプロジェクトを計画してます。

中島:そういう活動を今もずっと続けていらっしゃる中で、さっきもお話に出ていましたが、どういうことを大切にしたり、気をつけて活動していらっしゃいますか。

橋場さん:まず、子どもの問題ってケニアではすごく多いです。たぶん少年司法制度に関わってくるような、捕まるほどのことをするような子やストリートチルドレンになってしまう子どもたちの問題は氷山の一角で、それよりもっと前の段階でそのような状況に陥りそうなリスクがある子はすごくいっぱいいると思っています。なので、外国人で孤児院をやっている方はいるんですが、もうちょっとケニア人でなんとかできないのって私は思っています。なので、ケニア人が子どもを守ったり、子どもに寄り添ったりして、外国人だけの支援に頼らないようにできるよう努力しています。

中島:それでは最後に、団体名の「ケニアの未来」にちなんで、橋場さんはケニアの未来、ケニア人たちの未来に対してどういう思いを持っていらっしゃるのでしょうか?

橋場さん:ケニア人たちの未来、そうですね。今は福祉の事業や一番大変な環境にいる子どもたちに対する活動をしているのですが、その事業以外でもやっぱり全体的にケニアには問題はあると思います。例えば、私がケニアでケニア人とかかわっていると、自分たちさえよければいいと考えている人が多いと感じます。もちろん日本でも、どの国でもまずは自分が大事という人は多いとは思いますが、ケニア人の間のこれだけの格差をみるとそれをさらに強く感じます。例えば、日本の高度経済成長期のような全体的に社会を底上げするような時代がケニアにはなかったので、勉強していいポジションにつけた人はそのあとは個人の利益を追求しているように見えます。今のケニアは、私が初めて来たときよりケニア人のお金持ちの数は増えて、海外に出て仕事をする人からの送金などで裕福な家庭もあります。しかし、そういう人たちはどんどん裕福になっていくのですが、彼らは、ケニア内部の社会の問題に関わって何とかしようとする人は少ないように見える。全国統一試験のようなアカデミックな部分は大切にするのに、みんなで社会を良くしていきましょうという価値の教育はどうなっているのかなという感じがします。それで結局、ケニア人と話していると「お金がないからケニアはよくならない」というお金の話になるのですが、膨大な予算がなくても人助けや社会の問題を改善しようとすることはできると思います。他にも、ケニアより不正が日常レベルで少ない海外の方が自分のパフォーマンスを発揮しやすいし、評価されやすいので、ケニアの優秀な人たちは海外に出てしまうことが多いのも問題だと思います。例えば、この間、日本に留学して現在日本で働いている若いケニア人と話したのですが、彼は優秀で公立の中学校をでたんですが、その学校のトップ20に入っていた子たちは今みんな海外にいるらしいです。ケニア人は英語ができるし、器用で適応能力が高いので優秀な人は高校まではケニアで勉強して、大学はイギリスやアメリカに出ていってしまいます。やっぱり、不正や汚職が多く、力を発揮できる機会が少ない。ここが問題だと思っています。

中島:ありがとうございます。では、先ほどはケニアに対してだったんですけど、「ケニアの未来」に対して将来的に、目標や夢はどう考えていらっしゃるのですか。

橋場さん:現在は人材育成や、コミュニティに自分たちから入っていって、コミュニティの人たちにアプローチしているのですが、やっぱり、そのコミュニティの中で居場所がない子どもたちも多いのかなって思っています。例えば、失業率が高く、仕事自体も少ないんですよね。なので、時間を持て余している青少年が多くて、彼らはコミュニティの中で仕事や居場所を見つけられず、薬物に走ってしまうこともあるので、コミュニティの中で居場所を作ってあげたいなと思います。そういう予防と同時に、薬物依存になってしまった子たちへのカウンセリングやリハビリもできればしたいです。ニーズが高いので。それから、子どもたちがスポーツや読書などの何かポジティブなことをできる場所や施設を作りたいです。さらに、さっき話した、自分たちで社会を良くしていこうという考え方ができるようになるプログラムもしたいと思っています。そういう事がもしできるのだったら、やりたいなっていうのは、夢としてあります。

今回は橋場さんにいろいろとお聞きしていきました!なかでも、橋場さんの思うこれからのケニアの未来のかたちについての話はとても面白かったです!